ひ志お(醤)とは

大豆と大麦から麹を作り、銚子の自然をたっぷり吸い込み、
1年以上熟成してできた発酵調味料です。
形は味噌のようですが、風味は醤油に近く、
醤油の旨み成分をたっぷり持っています。
箸でつかめる「食べる醤油」です。
このまま食べてよし、野菜などにつけてよし、
調理に使ってよし、万能の調味料です。

麹という発酵微生物は単に味を作り出すだけではなく、
健康を維持するのに役立つ力をいっぱい持ったものです。
大豆が優れた栄養価を持っていることは有名ですが、
その大豆にびっちり麹が培養されて発酵熟成されたものが
「ひ志お」です。



銚子は江戸時代より醤油の名産地です。
銚子の温暖な気候が、ひ志おや醤油が発酵熟成するためには
最適な条件であるためです。
冬は暖かく、夏は涼しく、昼夜の寒暖の差が小さい気候は
麹にとって大きな力になります。
銚子は、ひ志おにとって最適な自然環境なのです。

銚子の醤油屋さんは江戸時代に隆盛を極め、
その工場で働く職工さんは仕事の性格上、
多数住み込みで働いておりました。
どこの醤油屋さんも職工さんのために食事を賄っていました。
そしてその食卓には、それぞれの蔵自慢のひ志おが
用意されていました。
ひ志おは醤油屋で働く人々には
欠かすことのできないおかず調味料でした。

「ひ志お」はいつから存在したのか?

「ひ志お」が初めて記録に出てくるのは、中国の古代王朝、
周(紀元前722-481)の時代です。周の法制度をまとめた「周礼」の中で
「ひ志お」に関する記述を見つけることができます。
それによれば、中国の宮廷では皇帝の膳に添えるため
百二十種の「ひ志お」が用意されていたとのことです。
ここでいわれている「ひ志お」は魚や鳥、獣の肉、果実などの原料を
塩漬けにして酒を加え、瓶に入れて100日間ほど熟成させたものであったようです。
このように中国では紀元前の昔より発酵調味料が存在し、使い続けられてきました。
大和時代には、発酵調味料は日本でも存在していました。
701年に完成した「大宝律令」によると、
大豆を原料とした「ひ志お」が作られていたという記録があります。
奈良時代には庶民の間にも「ひ志お」はかなり普及していたと思われます。
平安時代の貴族階級の食卓では副食として乾物が多く、
それらをお湯で戻し柔らかくして、調味料(酢、酒、塩、ひ志お)をつけて食べるのが
一般的であったようです。
紫式部、清少納言もひ志おを食べていました。

「ひ志お」は味噌ではなく醤油です

1200年代、禅僧の覚心が修行のため宋にわたり、その後日本に戻り、
和歌山県湯浅町の興国寺に美味しい味噌(金山寺味噌)を伝えました。
その製造過程で桶の底に溜まった液(溜まり)が醤油のルーツといわれております。
しかし、この説に対しては様々な異論もあります。
ヒゲタ醤油研究所元所長の茂木氏は著書「江戸時代の醤油業のルーツについて(その3)」の
なかで、醤油と溜まりの決定的な違いを述べています。
醤油は大豆と麦を全部麹にして熟成させますが、溜まりは大豆だけを麹にする点で、
味噌の製法に近いと考察されております。
そして大豆や麦など原料料を全部麹にするのか、一部のみを麹にするのかは
醤油のルーツを考える上で重要な要素になると指摘しています。
「ひ志お」は原料の大豆と大麦を全部麹にして熟成させます。
つまり、ひ志おは醤油の分類に入ります。
そして重石をのせ、熟成しているあいだにひ志おの間からじわっと湧き出てくる液体
「源醤」があります。これこそが醤油のルーツではないかと私は考えております。

「ひ志お」の醸造元山十の歴史

山十の創業は1630年(寛永7年)です。
この年号は、創業者岩崎重治郎が紀州広村で山十を創業した年です。
銚子には1708年宝永5年に開業したとの記録があります。
銚子に進出した多くの紀州出身者の一人として、銚子で事業を興しました。
岩崎家は江戸、明治、大正と銚子で醤油醸造業を手広くおこない、地域社会への貢献も
大きい事業家でしたが、昭和初期頃、事業に行き詰まり、銚子を撤退しました。
その時に、現在の醤司である室井房治氏の祖父が山十を引き継ぎ、
現在に至っております。
ひ志おの製造は江戸時代より途切れることなく続けてきました。
江戸の昔から商用などで銚子に来たお客様に、各醤油屋さんは手土産としてひ志おと鰹の
塩辛を渡したそうです。
各醤油蔵ではそれぞれ自慢のひ志おを作っていました。
当然山十でも自前のひ志おを銚子名産と称して製造しておりました。

そして今でも昔と同じ道具を使い、同じ製法でひ志おを造っています。

「ひ志お」の未来について

ひ志おのような製造に時間を要する発酵食品は、大量生産を要する近代の工業経営には
なじまない製品です。大量生産せず細々と造っていた歴史が、山十のひ志おが現在でも
生き残り続けている理由です。それでもひ志おを造り続けるのは、ひ志おこそが
万葉の昔から受け継がれた日本人の味であり、これからも残すべき味だからです。
化学調味料の味に馴染んだ多くの人々が、ここにきて昔から日本人の味の原点であった
発酵の味に回帰しています。
特に都会に住んでいる人々ほど、発酵から作り出される
自然の味を求めるようになりました。
その方々を満足させる調味料の一つが「ひ志お」ではないかと考えます。

銚子は自然に恵まれ豊富な魚介類、農産物を生産する首都圏の台所であります。
そしてこれらの素晴らしい食材を調理するとき、日本人誰もが使用する発酵調味料
「醤油」の名産地としても、その名声は響きわたっております。
私たちの造っている「ひ志お」も、これらの食材をおいしく食べるための銚子産の
発酵調味料のひとつとして、今後ますます注目を集めていくと確信しております。
銚子で生産される美味しい魚と野菜を調理する際に、素晴らしい銚子の自然の空気を
たっぷり吸い込んだ発酵調味料を使うため、また、その料理を食べるために、
多くの人々が銚子に訪れることを夢に見ております。
この夢を膨らませていくため、
「ひ志お」造りにますます励んでいくことをお誓いいたします。